王禅寺の歴史散策
禅寺丸柿古木から石橋供養塔まで
8.等海上人と禅寺丸柿
王禅寺は新田義貞の鎌倉攻めの時に焼失しました。等海上人は王禅寺の再建のため、応安3年
(1370年)に建築用木材を求めて山中に入りました。そこで、甘みのある柿を発見し、それを
村人たちに広めました。これが禅寺丸柿の始まりとされています。
真福寺谷戸の森七郎の栽培した柿が明治天皇に献上されてます。
現在、禅寺丸柿の古木の多くは姿を消しましたが、石橋のあたりには
まだ見られます。
9.稲荷森稲荷社
稲荷社は王禅寺村の鎮守五社の一つです。神明社とともに入口谷戸(石橋あたり)の鎮守となっています。
稲荷社は、隣に居住する久保倉氏の先祖が、江戸時代、村の安全と五穀豊穣を祈願して京都伏見稲荷
から分霊を祀ったものです。。
江戸時代の文化から天保の頃に、久保倉次郎右衛門は、稲荷社の近くで寺子屋を開いて
いました。
近くに鎌倉道があって、義経が、弘法の松からこの付近を通って、鎌倉に駆けつけたという伝説があります。
10.神明社
神明社は王禅寺村の鎮守5社の一つです。初めは、後北条氏の家臣であった
吉垣氏の社でしたが、後に、稲荷社とともに入口谷戸(石橋あたり)の鎮守となっています。
11.石橋供養塔と高札場
文政12年(1829年)に王禅寺村の青戸伝治郎が中心になって王禅寺村と早野村との
村境を流れる早野川に石橋を作りました。伝治郎は、井戸に
身を投げた養女よしの供養のために石橋を架けました。現在、この石橋は取り壊されて
いますが、この場所に天保12年(1841年)に再建された石橋供養塔が石仏群とともに
並んでいます。
この橋の近くには高札場(村民の掲示板)があり、石橋は地域の人々が集まる中心的な場所
であったといえます。