まちのあらまし
南北朝時代は武蔵国麻生郷
麻生区は1987年7月1日、川崎市の行政区再編によって多摩区から分区し誕生しました。麻生の名は
中世からこのあたりは麻生郷と呼ばれ、歴史的に伝統のある「麻生」が区名になりました。現存する
文献のなかで、麻生郷の名がみられる一番古い記録は足利尊氏の「所領目録」で、鎌倉幕府が
滅亡した元弘3年(1333年)のものと考えられます。
鎌倉時代に王禅寺の等海上人が発見したといわれる小粒の甘柿の「禅寺丸柿」は、江戸時代から明治
にかけて評判になりました。「柿生」の地名はこれに由来しています。
また、麻生区では、江戸時代から第2次大戦直後まで続いた「黒川炭」や、江戸時代
から昭和初期にかけては「養蚕」も盛んでした。
新百合ヶ丘駅周辺が麻生区の中核に
1974年に小田急線新百合ヶ丘駅が誕生しました。新百合ヶ丘北側には麻生区総合庁舎、文化センター、消防署など が設立され、駅南側には銀行、証券会社、大型ショッピングセンター、健康・娯楽施設などが建設され商業 地域が形成されています。新百合ヶ丘駅周辺は川崎の新都心と位置づけられ、現在も都市開発が続けられています。
芸術のまち、先端技術のまち
麻生区では、芸術を育て、創り、楽しむ「芸術のまち構想」が進められています。すでに、「民藝」の稽古場や
美術館、昭和音楽芸術学院、日本映画学校などがあり、さらに、平成19年4月には昭和音楽大学
の駅南口移転や、10月には駅北口の劇場と映像ホールを備えた川崎市アートセンターの開館など、構想
も一段と充実してきます。
また、「南黒川地区」および「栗木地区」にエレクトロニクス
関連や先端技術産業の研究開発を中心とする企業が集まっています。