江戸時代
日野往還
日野往還は横浜麻生線に沿ってあ
りました。日野往還は日野市から町田市大蔵、能ヶ谷の一本松を経由して、上麻生の橋場、
下麻生、早野を抜け、更に市ヶ尾、川和を通って横浜方面に通じていました。
日野往還沿いのいくつかのスポットをご紹介します。
水車橋
往還沿いに麻生川とそれが合流する鶴見川があります。その合流点から300メートル下流で 真福寺川も鶴見川に合流します。真福寺川と鶴見川の合流点付近に水車橋という橋があります。ここに は戦後の昭和24年ごろまで水車が回っていました。この水車の直径は5.4メー トルもあり、水車としては最大級のものでした。水車や精米、精麦、製粉、養蚕業 などにも使われていました。水車は江戸時代末期に設置され、その 最盛期は明治時代末から大正時代はじめのころまででした。麻生区には29箇 所に水車がありました。
常安寺
妙香山常安寺は、永正12年(1515年)、日鏡上人によって開かれ、当時の領主
小島佐渡守源左衛門高治が創建した寺です。現在の建物は昭和46年に日蓮上人
生誕750年を記念して鉄筋コンクリート建てに改築されたものです。寺宝として
慶長19年(1614年)銘の木像日蓮上人坐像が保存されています。
明王山不動院(木賊不動)
宝永2年(1705年)に、当時の下
麻生の領主で旗本の安藤織部が再建したと伝えられています。嘉永2年(18
49年)王禅寺の末寺となり、そのとき真言宗となりました。
木賊(とくさ)を刈りにきた農民が木像を発見し、この地に祀ったという
伝説から木賊不動とも麻生不動とも呼ばれ、火伏せの不動として広く人々に信仰されていま
す。不動さまの縁日は1月28日です。不動院に通じるせまい道の両側には数
百軒の露店がぎっしり並び、だるま市も開かれ、数万人の参拝者でごった返し
ます。
戒翁寺
天正年間(1573-91年)に片平の修廣寺三世貴山玄頓を招
いて、小庵を曹洞宗の寺としたのがはじまりと伝えられています。開基は当時の早野村
の領主富永重吉です。慶応2年(1649年)、五石五斗の朱印地が与えられまし
た。僧貴山玄頓坐像と富永重吉坐像が寺宝として保存されています。
早野七つの池
早野で米作りが行われていますが、早野は水利に恵まれていません。鶴見川は勿
論のこと、王禅寺から流れてくる早野川も、水田より低いところを流れており、
米作りにはほとんど利用できません。早野の米作りを支えたのは七つの池でした。
七つの池とは谷戸に散在する「上池」、「五郎池」、「林ヶ池」、「中ノ
谷池」、「堤入池」、「竜ケ谷池」、「下谷池」です。上の写真は「林ヶ池」です。
現在早野では、七つの池と周辺の山の自然を残すことを前提に、早野聖地公園
の事業が進んでいます。