飛鳥、奈良・平安時代
大化の改新と国・郡・里(郷)
4世紀の中ごろ、大和地方の王を盟主(大王=天皇)とする政治的な連合体「大和朝
廷」が成立しました。6世紀末、推古天皇の摂政となった聖徳太子は、大臣の蘇我馬子
とともに遣隋使の派遣、冠位12階、憲法17条の制定など政治改革の取り組みました。
7世紀の半ば、645年、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)らは
当時実権を握っていた蘇我入鹿を暗殺しました。これが大化の改新です。
中大兄皇子らは中国の制度にならい、「大化」という元号を定め、大化2年
(646年)には、「改新の詔」を出しました。
現在の麻生区の地域は、その時の国郡制の導入によって武蔵国橘樹(たちばな)郡と都筑(つ
づき)郡に編入されました。高石、細山、金程などが橘樹郡に、黒川、栗木、片平、上
麻生、下麻生、王禅寺、早野、岡上などが都筑郡にはいっていて、2つの郡名は昭和の
初めまで続きます。
地方の国々は国造と呼ばれる豪族(首長)が支配していましたが、大化の改新後、地方
の国々は朝廷から任命された国司が治めるようになり、国司が仕事をする国庁は国府にお
かれました。武蔵国の国府は府中市の大国魂神社付近にありました。
武蔵国の郡は21郡をあり、陸奥国の35郡についで全国で2番目の数です。
21郡は次の通りです。
橘樹、都筑、久良、多麻、荏原、豊島、足立、新座、入間、高麗、比企
横見、埼玉、大里、男衾、幡羅、榛沢、那珂、児玉、賀美、秩父
武蔵国は現在の東京都、埼玉県、神奈川県にまたがっていることが分かります。
橘樹郡は7郷、都筑郡は5郷から成り立っていました。都筑郡の郡役所は横浜市緑区
荏田町(長者原遺跡)にあったと考えられていますが、橘樹郡の役所の場所は確定され
ていません。宮前区野川の影向寺(ようごうじ)周辺ともいわれています。
写真は影向寺です。境内からは都筑郡を表す「都」と書かれた文字瓦が発見
されいます。これは武蔵国分寺跡で発見されたものと同じ種類の瓦です。
大化の改新が目指したものは、地方の豪族達による地域支配を断ち切って、天
皇の任命する役人に治めさせる中央集権制を確立することでした。改新が実際に
動き出すのは、701年に大宝律令が定められてからです。そして、奈良時代(710−
794年)、平安時代(794−1192年)へと進みます。
奈良・平安時代
麻生区内の奈良・平安時代の住居跡は、稲荷森遺跡(高石)、弦巻遺跡(高石・西生 田中学校敷地内)、金程向原遺跡(金程)、五力田東遺跡・山口台遺跡(上麻生)、大 ヶ谷戸遺跡(上麻生・アルナ園敷地内)、岡上丸山遺跡(岡上小学校敷地内)などから 百数十軒が発掘されています。 区内で発掘された住居跡で数が最も多かったのは岡上丸山遺跡の約6 0軒、ついで山口台遺跡、金程・向原遺跡のそれぞれ約30軒でした。
山口台遺跡では、奈良・平安時代の竪穴住居が26軒発掘され
ましたが、それとは別に当時東国では珍しかった掘立柱建物跡が17棟確認されています。9世紀央に立て
られた掘立柱建物は、しっかりした構造で,規格、規模、配置に計画性が見られ、倉庫と
思われる建物も含まれていることから、この地域の有力者の住まいであったことも考え
られます。住居跡からは土師器や須恵器の器類から小刀、やじり、鎌などの鉄製品が多
く見つかっています。
写真は麻生中学校の校門入り口に設置されている山口台遺跡の説明板の写真です。