氷河時代から古墳時代
昭和53年、黒川で約2万年前と推定される石器が発見されました。2万年前は氷河 時代です。当時の多摩丘陵の気温はいまより七、八度低く日光戦場ヶ原と同じくらいだ ったと考えられています。この時代から、黒川では人間が生活していたことになります。
縄文時代は紀元前1万年から紀元前500年までおよそ1万年続きます。縄文時代は 草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六つの時代に分けられます。草創期の土器が 黒川、栗木で発見されています。中期になると遺跡の数が多くなるとともに集落が大型 化してきます。なかでも、金程向原遺跡では、縄文時代中期の竪穴住居跡が多く発見さ れました。
弥生時代は紀元前300年から西暦300年ごろまでの約600年間をさします。 麻生区では、縄文時代の住居跡は非常に多く発見されいてるいましたが、弥生時代の住居 跡はこれまでのところ発見されていません。人々が、稲作の水利に恵まれた現在の横浜市 緑区や港北区、川崎の中原、高津、宮前区などに移動したもの と考えられます。実際、中原、高津、宮前区に弥生時代の遺 跡が多く見つかっています。しかし、麻生区内のほぼ全域にわたってで弥生時代の土器片は見 つかっており、人が住んでいなかったわけではないと思われます。平尾団地近く や町田市三輪町で弥生時代の住居跡も見つかっています。
4世紀から7世紀は古墳時代と呼ばれています。弥生時代後期に発展した水田による 稲作技術により、古墳時代は、貧富の差が拡大した時代です。巨大古墳は強大な権力の 台頭を意味します。しかし、7世紀前半まで全国的につくられた前方後円墳は 7世紀後半から姿を消し、古墳の規模も小型化しました。その背景には、支配者達は官僚 機構をつくり、中央集権的な国家体制を整備していったことがあります。
地方でも、有力首長だけでなく、地域の有力者が古墳をつくるようになりま す。はじめの頃は、竪穴式でしたが、朝鮮から横穴式が伝わったのがきっかけで、 6世紀末からは横穴式が多く見られるようになります。 竪穴式玄室は古墳の頂上から垂直に掘り下げ玄室をつ くりました。これに対して、横穴墓は側面から水平に出入り用の通路をほり、 その奥に玄室をつくりました。大型古墳は一人を埋葬するのが基本で したが、横穴墓では同じ墓に何人もの死者を埋葬することが可能になりました。
写真上は月読神社に現存する下麻生亀井古墳です。高さ2メートル、直径 14メートルの円墳です。横穴墳は柿生地区内に集中しておいり、30基あまり確認さ れています。これらの横穴墳は7世紀前半から8世紀にかけてのものであることが分か っています。早野では6基の横穴墓が確認されています。写真下はその一つです。